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​神戸洋家具とは

 
 
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慶応3年

神戸開港

 

神戸の洋家具産業は、慶応3(1868) 年の神戸開港に伴い居留地とその周辺に雑居地が形成され、外国人の実用的な需要が発生したことを契機に始まった。

 
 
 

神戸洋家具の系譜は
​船大工技術による修理業と
洋家具を再生販売する道具商である

 
 
 

居留地

返還の前後​

 
 

日英通称航海条約の凍結に伴い、1899年(明治2年)に神戸外国人居留地は返還され神戸市に編入された。明治後期の神戸では洋風建築が増加し、高島屋や三越など大手デパートでも洋家具売り場が設けられ需要が高まっていた。

 
 

​神戸洋家具産業の製作技術は
ヨーロッパからも信頼される水準で

​カップボードが初めて
イギリスへ輸出されている。

 
 
 
 
 
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洋家具産業の

​成長期

 
 

明治中期から、日本の教育面でも工芸を専門にした高等教育機関が設置され、洋家具や室内装飾の専門家が誕生した。神戸の洋家具業界でも洗練された様々な様式の家具が生まれた。

 
 
 
 

フランク・ロイド・ライト
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
​との出会い

 

阪神間モダニズム
への発展​

 
 

昭和初期に建築された阪神間モダニズムを象徴する建築物には、今もなお多くの神戸洋家具が残されている。洋家具だけでなく建築物の内装や造作も手掛けることにより、神戸の洋家具産業は急激に発展していった。

 
 
 
 
 
 
 
 

​今までの西洋風家具から
「日本の住宅向きの洋家具」へ

 
 
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戦後復興から

​高度経済成長

 
 

戦争によって焼け野が原となった神戸。洋家具産業の店舗や工場もそれぞれに打撃を受けたが、その後急速に一般家庭に西洋式の生活様式が浸透していく。昭和 40(1965)年には業界の約1/3の洋家具企業38社が工場の集団化による効率化を図る生産拠点として「団地協同組合神戸木工センター」が編成された。

 
 

婚礼家具ブームの到来

神戸洋家具が
新婚世帯やハネムーン先のホテルへ

 
 
 
 

新たな市場への展開

 
 
 

昭和40年代後半には家具組合の共同で東京圏にて展示会を開催するなど「神戸洋家具」として国内に周知される一方、輸出を目的とした「木材化学協同組合」がアメリカなど海外の品評会に出品し高い評価を得ている。

 
 
 

​情報網や交通機関の発達から
神戸洋家具は広く知られて行った

 
 
 
 
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そして、今

 
 
 

開港と共に神戸へと入ってきた洋家具の文化。半世紀以上前から神戸では、洋家具製造のノウハウが蓄積され、多くの家具が生まれました。職人の手によって一点一点丁寧に作られる家具は親から子へ、そしてまた次の世代へと引き継がれています。そして、修理や再生から始まった神戸洋家具の歴史は100年以上試行錯誤を重ねメンテナンス技術として蓄積されています。

 
 
 
 
 

港町神戸の舶来文化の息吹を感じる

「本物の家具」を
​私たちは作り続けていきます

 
 
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